偶然、インターネットで「この曲は今でもふとした時に頭の中でかかっている」という言葉を見かけた。
その言葉とともに紹介されていた曲が、100sの「honeycom.ware」だった。
はにかむ、とhoney comをかけたのか、インターネットっぽいのを意識しているのか、そういう言葉遊びが好きだったのでなんとなく惹かれていた。すごく気になって、早く聴きたかった。
ただ、ここは出先でyoutubeで音楽をかけると速度制限がかかってしまう。それを危惧した私は登録していたline musicで探した。見つかった。あぁ、有名…なのかな?とぼんやり思ったけど余計な邪念で音楽を霞ませたくなかったのですぐに再生した。
子守歌のようなイントロ、少しずつ上がっていくリズム、甘く優しく語り掛ける高音、どこかスモーキーなサウンド、なんとなく灰色の儚い世界が見える。
あぁ、あの人この曲知ってて、好きだろうな、と思った人がいた。
ずっと昔にインターネットで言葉を交わした人だった。今はもう、どうしているかも知れない人だった。
パソコンという四角い箱から広がる言葉の世界に浸っていた自分を思い出した。
この曲は聴く人間の心の奥底にある景色を思い起こさせるのかもしれない。私が思い出したのは小学生とか中学生のころ、現実よりものめりこんでいたインターネットの世界のことだった。学校も、友達もなおざりにしてのめりこんだ言葉の世界だった。言葉の世界に浸りある意味溺れていた。そんな日々のことを思い出した。世間的に見れば駄目な、生活かもしれない。
ただ、私からしたら現実のある分野ではずれてしまった…ような心地で過ごしていた自分からしたら、救済の時間、記憶でもあった。それを思い出した。なぜか泣きたくなる、そんな曲だった。
死にたい、と昔よく思っていたことを思い出した。ゆっくりと、囁きかけるような歌は、儚い旋律は死を連想させ…るのかな。私が勝手に死を連想した。
ただ、この曲から生み出すその瞬間も連想した。生と死が実は対局のように見えてすごく近しい存在なのかこれが私の勘違いというやつなのかもよくわからなかった。
この曲を聴いて、死にたいとも生きたいとも思ってしまった。なんだかよくわからない気持ちになってしまった。そして、やっぱり、インターネットで言葉を交わしていた時間を思い出した。自分という存在が言葉の上にのみ存在していた時間を思い出した。やっぱり、なんでだかわからなかった。
リリィシュシュのすべて
白い背景、灰色の文字、青い空の写真
どこかから逃げたい人々
早く帰って、また話したいねの合言葉
なぜか窪塚洋介
10数年前のインターネットのことを思い出すと、こんな単語が出てくる。
なんの趣味があるわけでもなく、(趣味の繋がりもあったけれど)そこにインターネットがあるから、たまたま同じサイトにいたから繋がった人達のことを思い出すとだいたいそんな単語たちも一緒だ。
あと、なんとなく灰色の世界だったりする。悪い意味ではなく、灰色の世界からピンク色の花を探しているような感覚だったのかもしれない。私のインターネットとの向き合い方というものは。
思えば、00年代初創り上げられたサイトの雰囲気、インターネットの空気感が好きだ。それは、幼い頃の楽しい記憶だけが残っているのかもしれない。
でも、私からしたらインターネットの中の世界はひとつの逃げ場でもあったしある意味リアルでもあった。今よりもリアルと直結しない幻想的な世界であるからこそ、その中の自分もリアルであったし、そこで構築される関係もリアルだった。このリアルがあったからこそ、本当に私という質量の存在する現実世界でも生きていくことができた。
・・・・なんてことを、この曲をかけたら思い出した。
この曲をかけなければ思い出すことがなかったことかもしれない。なかったことにしていた記憶かもしれない。
この曲は、そういう…なんていうのかな。溶け込もうとしながらもどこか沈殿している人間の沈殿物を、そっと拾い上げる曲なのかもしれない。
だから、この曲が響かない人だっているのかもしれない。
だけど、私はこの曲を聴いて、揺すぶられ、勝手に傷つき、勝手に救われた。
そして、どこかにそんな人がもう一人くらいいないものかな、と思ってこんな文章を書いてしまいました…と、さ。
おしまい