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ささくれになりたい

塚田くんのささくれになりたい塚田担、最近トラジャが気になる。懐古したり、妄想したりします。

メンヘラが好きな人に対する考え方が変わった



この世界にはメンヘラという人種がいる。

簡単な言葉にさせてもらったけれどつまりは外的な刺激に弱い人、自分で自分を傷付けがちな人だと思っている。

そして自分もわりとこの類だと思っている。



メンヘラが好き、という人がいる。

「自分の付き合う人はだいたいメンヘラなんだよなぁ〜」と言ってる人をわりと一定ペースで見かける。

この前数人で話した時に「俺メンヘラ好きなゆだよなぁ」「俺も俺も!なんか好き」という意見を聞いた。

かく言う私もメンヘラな人が好き…というか、付き合いやすい。
自分を傷つけてしまいがちなところが心配になる、そして共感する。


ただ、そのメンヘラが好き、という人に対して「優しさを利用されてるだけだ!」「自分が疲れるだけだよ」と反論する声も聞いた。

それもごもっともである。そして、私も思っていた。「メンヘラ好きの人って優しさを利用されているのか…?」と。



ただ、この前考え方が変わった。


メンヘラが好きな人間はメンヘラを消費している。メンヘラが好きな自分に酔っている、絶対。

(こういう意見何番煎じかわからないけど私も改めて主張させてもらう)



メンヘラというか、心の弱い人にメンヘラ好きがかけるアプローチはこうだ。

「そんなに世の中酷いものじゃないよ」
「今まで酷い目にあったんだね、もう違うんだよ」
「自分はそんな酷いことしないよ」

そして、そんなアプローチから少しでも相手が心を開いたらどうだろう。
メンヘラ好きが得られるものはなにか。


「自分の言葉、行動によって相手を変えた」という実感。


酷い人間は光を照らしたとでも思うんじゃないか?

メンヘラというコンテンツはわかりやすい。

・過去に何らかのトラウマがある
・生きづらさを感じている
・人に自分をうまく表現できない

など、なにかある。
生きる上でハードルがある。

そしてそれはメンヘラでない人はそれを簡単に乗り越える。
だからメンヘラでない人はメンヘラのことなんてわからない。共感なんてされない、それはメンヘラだってわかってる。

だから共感に弱い。メンヘラは共感に弱い。
共感、同情、理解、支援の手、かけ値のない愛情に弱い。求めている、それを求めている。それを求めるアプローチがわからない。知ってたらメンヘラじゃない。

それをメンヘラ好きは利用している。


「自分はわかってる」「そんなに世界は絶望的なものじゃないよ」「そんな君も好きだよ」なんて言葉や働きかけにあからさまに変わっていくメンヘラをみて達成感を得ている。

人間は働きかけたい生き物なのだとおもう。自分の発信するものに共感されたら嬉しい、自分のいた意味が見つかると嬉しい、そんな生き物なのだと思う。

その自分のかけたアプローチの結果がメンヘラだと出やすい。
優しい言葉をかける、相手の言葉を否定しない。それで自分には心を開いていくメンヘラが多い。

その時点で、「自分のしたことの価値」を見出すと共に「自分が必要とされる優越感も得られる」のである。


そのくせメンヘラとの依存関係が構築され許容範囲を超えると「耐えられない」と逃げていく。
自分の優しさに酔っておいて、必要とされる自分をメンヘラというコンテンツを利用して手に入れておいて。


だからもうね結局お互い様なんですよね。
なんかここまで話しておいて終着点わからなくなっちゃいました。

許せん、今は何か許せん。




ここジャニヲタブログなのにね。
早くつかちゃん好きすぎてゴールドジムに通った話を記事にしたい!!!

っていうか今日楽しみ!えむすて!