その血の定め ~おばあちゃん家へ遊びに行った~
いつもジャニヲタなんだか仕事してる人なんだか頭おかしい激落ちくんを紹介してる人なんだかわからないブログを書いていますが今日もよくわからない文章を書きます。
この前おばあちゃんの家に遊びにいきました。北海道の真ん中の方の田んぼの多い町に住むおばあちゃん。
今年遊びに言って珍しく、その町の文化や昔のしきたりについて沢山話してもらいました。
皆さんの生まれ育った故郷や家庭には独特の文化、お家のしきたりなどがありましたか?
最近の話題としましては「君の名は。」の三葉のおうちなどがその地独特の文化が残っている家庭と言えるでしょう。
少しネタバレになりますが巫女として生まれ巫女として育つ道が決められたような風習、田舎独特の文化に共感した人もいたのではないでしょうか。私はどちらかというと、自分がこうだったらすごく嫌だな、と思っていました。
地方だしコンサートも行けないしバイトもできなくてなんなの!という雑念からあぁ良かった巫女として生まれなくてという大変残念な思考の持ち主です。私という人間は我ながら呆れた人間性をしています。
今やそのような文化は廃れているのかもしれはいし、残っているのかもしれません。
今やインターネットも普及した情報化社会の時代。価値観も多様化し、人は自由になりつつあります。
自分の価値観を自分で見つけ、そして行動出来る時代です。
職業だって、努力は必要だとしてもなんにでもなれる可能性が高い(まだお家柄など様々な事情があるかもしれないにせよ)
その土地に生まれ、その土地に育ち、その土地で死んでいくことが当たり前の国ではなくなってきているのでしょう。
ただ、おばあちゃんから思い出話を聞かせていただいて。その話に出てきたのは自分の持っていた当たり前の価値観とは違う言葉ばかりでした。
おばあちゃんの生きた時代はその土地で生まれ、その土地で生き、その土地の人と出会い結ばれ、子供ができ、そしてその土地で死んでいく時代。
田舎に生まれた祖母、部落、厳格な父親、貧乏故に通えなかった学校、コネ入社の人ばかりで農協に就職できなかったこと、お手伝いはさせてもらってたこと、お金持ちに生まれた祖父とのお見合い、結婚、農家の嫁にはならないと決めていたのに祖父が農家を継ぐことになったこと、農家の嫁として生きた時間、子供と孫が生まれ幸せだったこと、たった1人でした痴呆症の曽祖父の介護…
当時、男は仕事をし、女の人は家事をするような風習が色濃く残っていたそうです。
なんだかもう、今の時代にインターネットに書き込んでしまえば大炎上するんじゃないかって話ばかりでした。
今は男女の性差について様々な意見がある時代だと思っていて。生き方についても多様性が認められている時代。インターネットの上では理想も含めなおさらそうなのかもしれません。
だからこそ、こんなクソヲタクブログでもインターネットの片隅に昔そういう歴史があったことを書いて置いた方がいいのかな、と思っ健忘録も含めてこの記事を書いてます。
っていうかなんかすごい情報量だったから書いてまとめたりしないと頭爆発しそうだし自分じゃ抱えきれないw
それでも今こうして幸せだからそれで良かったんだと話してくれるおばあちゃんがいることが、私の救いでした。
「自分を抑えてきた」という言葉が何度も出てきて、私も頭のどこかで「抑圧」という言葉が浮かんでいました。
私もそれまで気付けなかったのですが、きっとおばあちゃんはもともと勝ち気で、主張の強い人だったのでしょう。(お見合い相手を探す時からずっと「私は農家には行かん!」と主張していたらしい)
でも、嫁いだ先が厳しくて最初こそ何度も帰ろうとしたけど従うことに決めた、と話していました。ずっと自分を抑えていたんだと思います。結婚してからなのか、勤めてからなのかは本当はわかりませんが。
ただ、子供が生まれ孫が生まれ、孫の私が20年はとっくに生きそろそろオババかなというところで、厳しかった曽祖父が穏やかに天国へと旅立ち、そして数年経ったことでやっと自分を解放できたのかもしれません。
今になってやっと「おばあちゃん昔はこうじゃなかったんだよ。昔は音楽が好きで、小林旭と五木ひろしが大好きで…でも、おじいちゃんが生演奏とかそういうの嫌いだから言ったことがないんだ」って話もしてくれた。
(完全余談ですが結局私がヲタクなのは血筋でしたね。父方の祖母も氷川きよしのおっかけを続けていて、父は元バンドマンで母は洋楽バンドのレコードのコレクションが家にあるし従兄弟はエビ中ヲタ)
ずっと昔に(私の母が子供の頃)五木ひろしのコンサートが地元であってそれにおばあちゃんを行かせてくれと母と叔父でおじいちゃんに頭を下げたのに行かせてもらえなかったこと、それ依頼コンサートに行きたいとは言わなくなったこと。それを私の母が覚えていて最近五木ひろしのカレンダーを送ってくれたことも話してくれました。
ジャニヲタの私としては「いや!いや!?おかしいでしょ!?」案件でありいや勝手に行くでしょ!おかしいでしょ!ありえないから!と言いたくなるところだし出来ることなら過去に戻って過去を引っ掻きまわしてやりたいくらいなものですが…やっぱり時代なのかもしれません。
そして、おばあちゃんだけでなく自分のお母さんの歴史についても話してもらって。
厳格な家に生まれ小さい町で優等生として育ち早く地元を出たがっていた、大学で一人暮らしを始めた先で今のお父さんに出会って恋愛をして、教職につき、当時お父さん無職で厳しい曽祖父に反対され北海道から東京に駆け落ち…
おじいちゃんも、農家の家に生まれ、生まれた時から田んぼの名義が自分名義になっていて農家を継ぐような流れになっていたのが嫌だったと言っていた。そして学生時代に芸術に目覚めその道を目指そうとしたこと、弟が農家を継ぐはずが弟が勝手に就職し家を出てしまって自分が継がざるを得なくなった。逆らう事はできなかった…と話してくれました。
いつも穏やかなおじいちゃんおばあちゃんからはじめて聞いた言葉ばかりでした。
(特にこの農家に嫁ぐ気は無いという主張は誰にも言ったことがなくてこの前自分の子供(私の母と叔父)に話したらたいそうびっくりしていたそうです。笑って話していました。)
なんというか、うまく言えないのですが。
ボキャ貧な私は「ジョジョか!!!!」としか言えません…!!!
人生とは面白いもので、本当にいろいろなことがあるのだなと思いました。
生まれた土地で育ち生きていった祖母、生まれた土地を出て上京して暮らす母、そしてその上京した場所で育つ私…その時の時代の流れや風潮に流されながら逆らいながらもその人生という海を泳いでいるのかもしれない、と思いました。
それぞれが先祖からの要素(どこに生まれたとかどういう風習があるか)を受け継ぎながらある時は従い、ある時は逆らいながら生きている様子がまさに…
ジョジョ…
(これしか言えない自分を殴りたい)
そして、感じたのは私にとっておばあちゃんは「おばあちゃん」、おじいちゃんは「おじいちゃん」だったのかもしれません。ロール、というか、これまでおばあちゃんのこと、おばあちゃんとしてしか見れてなかったのかもしれない。自分で書いていていやになる言い方だけど、ただおばあちゃんやおじいちゃんと一緒にいる時間に夢中になっておじいちゃんおばあちゃんの人そのものについて、子供すぎて見ることができなかった。
優しくて、ご飯が美味しくて、いろいろなことを教えてくれて、励ましてくれて、いっつも笑顔で怒らなくて。
でも、今回の旅行で出会ったおじいちゃんおばあちゃんは一人の人間でした。
決められた道を歩むことが当たり前で、それを外れるという価値観すら無かった時代に生き、人生を歩み続けた笑いも泣きも怒りもする一人の人間だったのです。
おじいちゃんら はもともとそういう感情とかを子供や孫に出す人ではなかったとおばあちゃんは言います。
おばあちゃんは性格的に「こうあるべき」が強い人なので母の前で私の前で、いろんな人の前でよく振舞ってくれていたのかもしれません。
私は見る目がなかったのか、やっぱり孫だったのか、と少ししょんぼりとしました。だけど、私にも孫としての役割があるのならば、そこに気付かず甘えることも孫としての役割なのかもしれません。
最後に、おじいちゃんおばあちゃんに「それなりのことをしてそれなりの人生になった、子供も孫もできてこれでよかった。いい人生だ」とも言ってもらえてなんだか救われた気分になったりもしました。
小学校のころ私がおばあちゃんの家に毎年遊びに行っていたのも喜んでいてくれて、それで人生が変わったのかもしれないと嬉しそうに話してくれたことも、救いでした。
おじいちゃんもおばあちゃんも長生きしたから、私もきちんと生きて大人になったから、味わうことが出来た時間だと思います。途中で誰かが死んでしまったら、絶対に来なかった時間。
人は誰かと関わっている限り誰かにとって大切な一要素なのかもしれない。今はそうでなくても未来にとても大切な要素になるのかもしれない。人生は本当にどう転ぶかわからない。本当にわからない。だから、生きよう。そう思わされました。
特に、おばあちゃんが就職したかった時に周りがコネ入社ばかりで就職ができず悔しい思いをした話で私が「そんな人たちは罰があたるぞー!」とその場を明るくしようと話したら「そういう人らが今腰を痛めてるのを見て内心…」と言うので2人で「ざまーみろって思うね!」と言いながら冗談混じりに笑っていたときに思いましたwww
おばあちゃんがそんなこと言えるようになったのも、時間のおかげかもしれません。
本当に人生はどうなるかわからない、今がどん底でも誰かに痛めつけられていても生きている限りはいつかなにかの形で自分は幸せになることが出来る。
今どんなに辛くてもいつか笑うチャンスが生きていればある。今どんなに誰かにいじめられていてもいつかその人豆腐の角に頭ぶつけて痛い思いするかもしれない。自分はそれを馬鹿だなと笑える日が来るかもしれない。不謹慎な言い方だけれど、とにかく生きること、生きることが大切なんだと思わされた旅行でした。
これまで何回も旅行して、おばあちゃんの家に遊びに行っていますが今回の旅行が一番、どこに行ったわけでもないのに一番、ボリューミーな旅行だったのかもしれない。本当に本当に、大きな経験をしました。
…まとまりがなさすぎますがこれで終わります。
美しい農道。
この地にある意味お客様として足を踏み入れた私も、この地で畑を耕してきた祖父母も、美しい声を揃える景色。