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ささくれになりたい

塚田くんのささくれになりたい塚田担、最近トラジャが気になる。懐古したり、妄想したりします。

2016年を振り返って 私生活編

こんにちは、えむえむです。

 

もう年の瀬、一年間を振り返ってみると「あんまり現場に行かなかった年」でした。

ただ、物欲センサーなのか、回数が減った分一回の座席はそれなりに見やすいところだった。塚ちゃんの前歯やおしりをコンサートでじっと見ていた。質量が増したり減ったりするおしりを眺めることが毎回の楽しみでした。

 

そして、自担である塚田僚一くんのバラエティで大活躍し、塚ちゃんの名前をファンではない方からも聞くことのできたヲタクとして最高の年でもありました。

 

やっぱり大好きな塚ちゃんがデビューする、有名になる、人気者になる、仕事や生活を充実させていく、ということは自分のことのように嬉しいし勇気づけられます。

 

そして、私生活のいろいろから気持ち的に落ち込んだ時に「アイドルの尊さ」をひしひしと感じた一年でもありました。

 

 

で、そんな私生活・・・というか仕事?についてですが会社に勤めて4年目にしてやっと、仲のいい後輩が2人できました。

 

仲のいい後輩というよりも、年度関係なく「あぁ、居やすいなあ」という二人です。

趣味が同じというわけではありませんが、なによりもよく似ているのが「ネクラ」である「ぼっち」であり「コミュ障」であること・・・というよりも、そういう私が付き合いやすい。

 

付き合いやすい、ことがどういうことなのかはわからないけれど付き合いやすい。波長があうのかもしれない。そして、この場所にいると「自分もきちんといるんだ」と思う。実は、それが一番大切なのかもしれない。

 

 

私はあまり、そういう場所を持っていません。

集団の中にいると強い疎外感を抱いてしまう。自分が邪魔者のように思う。自分以外の集団として、綺麗にまとまっているじゃないかと思う。

そして早く逃げたくなってしまうところがあります。

 

転勤族の親の引っ越しで何度も幼稚園を移り、その先で友達ができなかったことでそういう価値観を抱いたのだと思う。

幼稚園で新しい制服をもらえば少しもともといた子達と違うデザインで仲間外れにされる。みんなと同じでないと除外されていた。

 

呪いのようなそれは怖い。

もう20年くらい経ってしまっているのに未だに克服ができない。

 

未だにどこにいても何をしていても、感じている「ここにいてはいけない気がする」と

いう気持ちや「自分はマイノリティである」「ありのままではいさせてもらえない」という価値観。

大人になった今でも、どこで誰に受け入れられても、「とりあえず他人を排除してはいけないルールがあるから受け入れてくれているんだろうか」と心が一瞬冷えてしまう感触が消えない。

そういう感情を持ちながら人付き合いをしていることを悟られると「めんどくさい」ということになってしまう。だから隠さないといけない。

どこかで人付き合いは苦痛なものでした。

 

そして、そういう人間が純粋に楽しくいられるのがそのコミュニティでした。

ありのままでもいい。誰がありのままでもいい、その場所は部屋で鍋をしながら酔っぱらって小田和正を大声で歌うなど文字通り自由でした。

 

 

そんな場所が今年できたのですが、それが今年一番の収穫です。

そしてその場所が一度壊れかけたことがありました。

 

一度その中の一人がバイクの鍵を紛失し、一緒になって探していたのを会社の同期に見られたようです。

そして、その会のもう一人が「あの二人付き合ってるの?お前邪魔じゃん」と言われていたことを知りました。

 

どういう温度感で発せられたのかはわかりませんが私はそれに勝手に憤ってしまい、でもうまく表現できずに年を跨ごうとしています。

 

邪魔だと思われたり、除外されることの苦しさを知らない人にそれを伝えるのは難しい。

取捨選択を必要とする世の中で、誰もがどこかでそういう思いをしている。

 

でも、自分が一度仲を深くしたいと思った人との間でそういう思いをする人はいてほしくない。できることならそういう場所にいなくてもいいようにしたい。

 

この場所だけは、そんな疎外感や不安なんて感じなくてもいい場所であればいいのにと思っている。ただ、そうはいかないんだろうか。

 

未だに周りには冗談交じりに両方とも性別は異性だからといって「どちらか食うのか」ということも聞かれる。

いつも性的な発想に至ることが怖い。私も男が二人並んでいるとホモだ最高だなんだと話すからお互い様なのだろうか。

そもそも男性だと意識すると男性恐怖症の気があるからまともに関わることができない。

そのせいもあって職場で仲のいい人があまりいないからなにかと変な話が立つのだろうけれど。

 

そういう人の前では「性別の関係ない似通った人間としての友情」は成立しないのだろうか。

 

まぁ、友情というか後輩なのだけれど。

 

 

 

 

そんな一年でした。思えばここ数年、正直社会に出てマイノリティとして一時期除外されているような心地を覚えてからずっと「普通な人間としてその場に馴染む」ことばかり探し続けてきた気がする。

 

だけれども、本当に必要なことってそうじゃないのかもしれない。

 

本当に必要なのは「普通として大きく外れない」ことではなく「多種多様な価値観に順応する社会性」なのだろう。

 

自分はこういう人間です、と他人にわかってもらう力。

自分を受け入れさせてしまう力。

 

 

 

 

ここまで生きてきてやっと気が付きました(笑)

 

来年は、自分にとってどういう一年になるのでしょうか。

正直今年はいなくなりたいという思いとここにいたい、長く生きようという思いとのせめぎ合いばかりでした。

 

来年は、もう少し生きようと沢山思う・・・いや、そんなことを意識しなくても生きているような一年にしたい。

 

 

結局なにが言いたかったかよくわかりませんが、いつもこんな感じなので、これで。