ささくれになりたい

塚田くんのささくれになりたい塚田担、最近トラジャが気になる。懐古したり、妄想したりします。

生きる意味を探している

 

と、書くとすごく物騒だったり切ない雰囲気になるのだけれど本当は生きる意味を探しているのではなく生きる意味を探す力もない。なにかに絶望してるわけでもない。ただ明日も明後日も生きていくことに対して希望が湧かない。楽しみじゃない。

明日よ来るなと泣きじゃくるわけでもないけれど常に頭をぼんやりと「生きる」「生きない」という言葉が包んでいる。かといって死ぬわけではない。

ゾンビのようだ、とたまに思う。ただ心臓を動かしているゾンビ。人間の皮を被ったゾンビ。

 

趣味もそれなりにあるしコンサートやライブに行けば楽しい。幸せな気持ちになる。ただ昨日帰り道ふと気付いてしまったのは自分は大好きなアイドルやバンドをみられないのは嫌だという気持ちで生きる気力が湧いてこない悲しい人間だったというぼんやりとした事実だ。

 

明日も仕事をする。明後日はお休みだ。きっと楽しいこともあるのだろう。明々後日もお休みで楽しいんだろう。でもそれが強く響いてこない。生きようとか生きてて楽しいとか浮かんでこない。それを模倣できたとしても。

 

 

とか、一人になると考えてしまうけれど誰かといたらそういう思考は忘れることができる傾向にあるみたいだった。だからきっと人に沢山会った方がいいのだろう。

 

 

 

あとは、今日の朝ふと時間があったので「明日 生きようと思 ない」でGoogle検索をしたら下記のサイトが出てきた。

(思えない、と思わない、のどちらの言葉を使うか少し考えあぐねてしまった結果このようになった。)

 

http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/2015-04/23.html

 

 

自死を選択した人や遺族の思いを目にして、漠然と頭に浮かべていた死が形になるとどうなるか、…うまく言葉にならないけれど勝手に涙が出ていた。

他のページでは20代の自死について特集されていて「今、死にたい人達」の言葉が並んでいた。そこでは自分は、共感するところばかりだった。だけれど、自分の周りの人にこんな思いをさせてしまうのはあまりに…。

 

生きようとは思わなくてもいいから死ぬという選択はとらない、それが、今の自分にはいいのかもしれない。

 

最後強引に話をくくったのは電車が到着してしまったからです。

 

それではまた。