今年の5月くらいに祖母がガンであることがわかった。
胆管にガンができてるということを実家の冷蔵庫に貼られた診断書?のコピーを見て知った。
すぐに北海道に住むおばあちゃんのところへ行ったらちょうど緊急で入院したところから退院したタイミングで、帰りにトマトとかを買っておじいちゃんも含め3人で食べた。
お赤飯とかお味噌汁を調子のいい時におばあちゃんが作ってくれて、これからこういう日が増えてくんだろうなと思ってた。
病院に通院しながら抗がん剤の影響で食事を吐いてしまったらそういう日も出てきた。それでもいつかは治る、大丈夫になると思ってた。職場にもがんにかかった人はいて、それでもちゃんと復帰している。
去年秋に食べたミスド、おばあちゃんがすごく気に入ってたからまた食べに行けるんだろうなって思ってた。
北海道から帰って空港まで迎えに来た母に、夕飯を食べながら祖母が末期がんであることを伝えられた。
あれから夏、秋と数ヶ月ごとに会いに行って、おばあちゃんはやせ細っていった。でも、歩いてなにかをしたりすることもあった。母や叔父は遠くに住んでいてなかなかそばにいてあげれないことや祖母が家事をほぼしていたこともあり心配していたけれど、それでも祖父や祖母は頑張って生活をしていた。
帰る頃に「冬は寒いし風邪ひかれたらおばあちゃんたまらんから来んでいいからね」と言われていた。私もまた来年会う約束をした。雪が溶けたら会いに行くからそれまで元気でいようね、と。
手紙を沢山書いた。返信もあった。おばあちゃんはもともと手紙を書くのが好きで何かあるたびに書いてくれていたから。だけどそれも夏の終わりくらいまでで、寒くなると共に少なくなっていった。
毎年欠かさずお祝いしてくれた誕生日も音沙汰はなくて、きっと余裕がないのかなと思っていた。
そして数日前叔父からおばあちゃんの調子があまりよくないことを知らされた。
いつも夢の中にいるみたいで言うことも朦朧としている、と。それで母が会いに行くのに便乗して私も北海道へ向かった。多分、怒られるのかなと思ったけれど。
三ヶ月ぶりくらいに会ったおばあちゃんはひどく弱っていた。
ひと月ほどなにも食べれなくてやせ細って、歩く体力もなくなり、話すこともままならなくなってた。足も骨と皮だけになっていて膝のところが腫れてるのかと思ったら骨だった。
言葉を話すのも大変で、生きるのに最低限必要なこともやっとと言うのが、こうやって自分の感情を言葉にするのが好きな私には強く響いて。もちろんおばあちゃんもそういう性質の人だから、本当に、…なんていうか。傷ついたわけではないのだけれどなんていうか、人にはいつかこんな日が来ると改めて思っていた。
元気だった頃のおばあちゃんや数ヶ月前のおばあちゃんを思い出すと痛ましくて…なんて言うんだろう。胸が締め付けられて、それでも懸命に生きていてくれて嬉しかった。また会えて本当によかった。もう会えないんじゃないかと、最後会った日には思っていたから。
でも、本当に今回が最後なんだろうと思う。
だからこそ明日になってほしくなくてこんなブログを書いてる。
明日になったら私は帰らないといけない。
明後日には仕事があるし、今後楽しみな予定もある。
でも明日になったら多分もう、きっと、おばあちゃんには会えない。
去年、今頃まだなんにもなかった頃のおばあちゃんを思い出す。一緒にラベンダー畑に行って、買い物をして、青い池を見て、帰りにミスドを食べて。こんなに美味しいものがあるんだねっておばあちゃんは感動していて。また来年来るから食べようねって約束してて。
孫だからって私に優しくしてくれたおばあちゃん、小さい頃からずっと、毎年遊びに来る私を大切にしてくれた。その陰でひいじいちゃんの介護をずっとしてて、苦しんでいたのを私はずっと後から聞いて。その時に遊びに来てた私に救われてたって言ってくれてた。
私はおばあちゃんが大好きだしおばあちゃんも私のことが好きだと思う。確信がある。
だからね、きっとおばあちゃんがこの世界で形をなくしても私の側にいてずっと守ってくれるんだとは思ってるんだよ。ガンって話を聞いて万一のことを考えるようになってからずっと。
でも、やっぱり悲しくて明日なんて来なければいいと思ってる。
それでも来るのが明日なんだよね。