ささくれになりたい

塚田くんのささくれになりたい塚田担、最近トラジャが気になる。懐古したり、妄想したりします。

ミラクルエッシャー展を観た

 

タイトルとは関係ないが4月に職場を異動となった。

 

作業着を着て工具を持ち様々なところを駆け巡る仕事からいきなりデスクワークになってまず辛い肩凝りに悩まされるようになった。

 

そしてプライベートでびっくりするくらいパソコンの画面と向き合いたくない。よってブログを書くことからも遠ざかっていた。

でもこれはしばらく書かないとそこにいた事実すらなくなってしまいそうで肩凝りと闘いながら書いている。

 

ミラクルエッシャー展を観てきた。

 

新しい職場の最寄り駅である池袋に広告の看板があって、黒と白と灰で構成された絵に惹きつけられてしまった。

上野駅に向かいチケット販売所で購入するときに「人体展」も目に留まりそちらにも惹かれたが人体展は公開が終わる間際だからか260分待ちになっているようですんなりと諦めることができた。

 

そもそもエッシャーって誰だ?

教養のない私の頭に彼の名前はなかった。

だが絵はどこかで見たことがある。中学の美術の教科書。

 

マウリッツ・コルネリス・エッシャーというらしい。

オランダに生まれた20世紀奇想の版画家。

 

版画というと個人的に美術の授業で全然うまくできなかった覚えしかないので版画ってどんなもんなんだろうと思ってたけれど展示された作品はそれこそ鉛筆で描いたの?ってくらい繊細だった。

自分が小学校の時宇宙をイメージして大失敗した版画の作品を思い出すのすら恥ずかしくなるくらい精密な作品だった。

 

ミラクルエッシャー展ではエッシャーの作品や彼自身のことを「8つの世界」と共に紹介している。

 

1.エッシャーと科学

2.エッシャーと聖書

3.エッシャーと風景

4.エッシャーと人物

5.エッシャーと広告

6.エッシャーと技法

7.エッシャーと反射

8.エッシャーと錯視

 

この8つの世界は彼を構成し、作品作りの根本となっている。

 

彼は、親の影響で「科学」や幾何学的表現…規則正しい記号や結晶に興味を持ち表現することをはじめ、また、「当たり前を崩す」表現をし、

信仰深いキリスト教徒であったため沢山の「聖書」に関わる作品を残し、

平地のオランダからイタリアに旅行に出かけたときあまりの美しさにありのままの「風景」を描いた作品を多く残し、そしてファシズムの勢力が強まりイタリアの地を離れると風景画を描かないようになり、

若いころは両親や自画像、妻など「人物」を描いたエッシャーが戦争の予兆と共にその人物を果物の皮のような表層的表現をはじめ、

50代まで日の目をみなかった彼は生きるために「広告」に着手し、

窓の外に人影か見えるたびに作業が進まなくなるほど神経質な彼は誰にも頼らず作品を創る「技法」を手に入れ

鏡や水面に起こる「反射」に興味を持ち、作品を多く残し、

そして晩年まで誰にも認められなかった「錯視」を葛藤しながらも、親の死や祖国へのドイツからの侵攻と向き合いながらも創り上げる

 

そんな彼を表現した展示だった。

 

つらつら書きなぐったけれど、個人的には風景に関する作品が一番好きかもしれない。

イタリア旅行であまりの景色の良さに心を躍らせながら作品を残した彼の心が伝わってくるようだった。

そしてそれは戦争によって長く続かないことも、それから彼の作風が少し変わっていったことも。それも含めてエッシャーという人間が表現されているようで。

 

あとは対照という、たまごの殻や割れたビンに囲まれて中央に鎮座する規則正しい配置で構成された結晶が描かれた作品。

 

 

オランダに生まれ、イタリアの風景に心を奪われた少し神経質で人を寄せ付けない、なぜだか愛おしい人の一生が詰まった展示だった。

 

上野の森美術館で観ることができるのでぜひ。

自分のための記録なのでだから何って言われたらなんだかわからないけど、おしまい!